ご案内
ここでの株式や債券などの有価証券の売買取引は、全国の証券取引所の八○%以上を占めている。
暴落直後のどさくさの一月四日、東証の会員総会がひらかれた。
そこで承認された第五九期(八六年一○月一日?八七年九月三○日)の営業報告書は、はからずも財テク・ブームの頂上期の総決算となって、いくつもの史上空前の数値が上げられている。
この報告書によると、東証での一日平均売買高は、株券八八四七億円、債券二一三七億円、国債先物六兆七八三六億円だった。
一日平均で?合わせて七兆八九二○億円だった。
年間の売買取引の立会日数は一七三日であり、年間売買高は約二一五兆円だった。
世界一のN市場とは、八六年には三対二の差で世界二位だったが、八七年に入ってからはNの売買高を上回って世界一となった。
東証は、日本ばかりか世界の金融資本市場の修羅場だった。
一階の株式売買立会場は二階までぶちぬきで、二階のガラスばりの回廊から立会場の状況を見下ろせる。
「場立ち」をはじめ約一五○○人の喧喋は、高さ一五メートルの天井にはねかえっていた。
それが、密閉されたガラスごしの回廊にも、押さえ込まれたうなり声となって伝わってくる。
「場立ち」とは、証券会社から立会場に派遣されている売買取引員のことで、手サインで売買取引をする姿は、その立会風景とともに、いまやテレビなどでなじみになった。
この国の財テク・ブームが過熱するにしたがって、売買取引の実際を一目見ようという見学者も急増した。
一年前より約四割ふえ年間一○万人を超えた。
「国際化」を反映して、外国人は前年より六割以上の急増で一○八カ国から九二○人が訪れた。
暴落直前のある日、見学コースの二階の回廊でいきあった社会勉強らしい女子高校生の一団は、ガイドの説明もそっちのけで、「Nは儲かるのよ」「Sはだめだってね」などといいながら、株価表示ボードを盛んに指差していた。
ここでも、売買によって上下する株価を必死に見つめる老夫婦などの姿があり、退職金を注ぎ込んでいるらしい様子だった。
なにしろ、株価表示ボードやチャート(図表・グラフ)を映しだす、株式相場のファミコン・ゲームも出回って、いまや小学生までが大人の財テク・ブームに加わっている時代だった。
東証では、市場の動きを自分の目で見ることができ、N証券の関係者からもホットな話を聞くことができた。
取材にとって格好の場は、見学者コースにしたがって、エレベーターで地下一階に降りたところだった。
そこは、廊下をかねたロビーになっている。
なかほどに、見学者はここまでという立入禁止の立看板が立っているが、別に柵があるわけでもなく、また、禁止区域に入る必要もない。
見学者コースの反対側には、上り下り往復のエスカレーターで一階の立会場と結ばれている。
証券会社といった調子で、東寺部で決まってしまう。
夜も遅くなって、兜町で知り合ったN証券のセールスマンと、あたりのビルのなかの飲み屋った。
まわりの客も証券マンたちで、彼らが発する喧燥で、並みの話し声では目前の相手にもなかなか通じなかった。
セールスマンはでっかい声で、「N証券での出世の条件は第一に声がでかいことで、先にどなった方が勝ちですよ」といった。
売買取引そのものも、Nの注文は大きくシェアも高い。
Nの出方で相場が動く。
Nが「買い」に出るとその銘柄は上げとなる。
だからNの出方を見て、「買い」や「売り」に出る証券会社がある。
これを「チョウチン買い」などというが、Nが意図する相場をつくり、Nが相場を先導する結果になっれをうている。
N証券が急激に進出しているアメリカやイギリスなどの海外でも、そのやりたい放題にたいして、第社員の場立ちなどがやってくるたびに、立会場の生の情報が伝わってくる。
喫煙所もかねていて、いつも何人かが息をつきにくる。
たばこでもふかしながら、ごく自然に、彼らとの会話が成り立つ。
私の印象だが、N証券の社員は、なにか話しかけると、他社の社員より前にしやしやり出て答えてくれる場合が多い。
それも、N証券のここでの存在の大きさを反映しているのだろう。
「東証はNの出張所」ともいわれている。
立会場では、東証の職員は、売買取引が正しくおこなわれているかどうか監視する役割を担っている。
が、ある職員は、「東証ではなにごともN本位で動いていく」という。
ごったがえす立会場では避けられない、なにか事務上のミスやいきちがいがあったときでも、N社員が「青二才がなにをいってるか」った調子で、東証職員を一喝する。
そして、いつのまにか、Nの社員がいったとおりに、東証の上「オーバー・プレゼンス〔目立ち過ぎ〕」だという批判が強い。
だが、私の取材にかぎっていえば、東証でのNの「オーバー・プレゼンス」には大いに救われた。
Nの社員は、他社の社員より積極的に話してくれたからだ。
証券界では、「Nの社員と話していると、その背後に会社のヒモを感じる」という人も少なくない。
こと取材にかぎっていえば、そのヒモを感じ取れるということは大いにありがたいことだっ。
大暴落の一週間前の一○月一三日のことだった。
平均株価はまたまた最高値を更新し二万六四○一円となった。
東証の前では、あるテレビ局のレポーターが、通行人をつかまえて、「株はまだ上がると思いますか」と街頭インタビューをしていた。
この新高値は、一年前の七一年の二三八六円(東証日経平均株価二一五種)の一○倍以上、一年前の八五年の一万二五六六円(同)と比べても二倍以上だった。
この日は、前場が終わって昼休みになっても、まだ立会場に残って働いている証券会社の派遣社員らが多かった。
が、地下一階のロビーでは、証券会社の社員たちが昼食もそこそこに、見学者コースの方のソファーまで占領し、一瞬の睡眠をむさぼっていた。
ソファーが満席で、自動販売機のドリンク剤を買って、立ったまま飲む社員もいた。
立っているNの社員の一人に「昼食にはいつ行くのか」と聞くと、「交代で行くこともありますがね、なにしろ体力相場ですから」といった。
証券マンは「体力」がなければつとまらない。
また、一週間後の大暴落など想像もつかないほど過熱していた相場は、証券マンが「体力」を削って買い上げ、買いが買いを呼び、株価を押し上げていたのだ。
その「体力相場」も、それから一週間だけだった。
待っていたのは、あの大暴落だった。
二階の回廊には、各テレビ局や外国通信社などのテレビカメラが並び、見学者の列はそのあいだをおそるおそる通り抜けた。
N証券とすれば、株や債券の値が上がろうが下がろうが、顧客が「売った」「買った」と頻繁に売買してくれれば、売り買いの往復でそれだけ多額の手数料が入ってくる仕組みとなっている。
ついつい顧客暴落の一○月二○日の夜は、兜町の証券各社の本社などでは、徹夜体制をとっていた。
その翌二一日、このロビーで、N証券の社員の場立ちに話しかけた。
「昨夜は眠れなかったでしょう」と聞くと、「いやいや、少々のことでは、ぐうすか眠っちゃいますよ」といった。
そうでもしなければからだがもたないきつい仕事だという意味もあったが、彼の方から、ばかに冷静にいった。
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